こんにちは、*min*です。
今日お伝えする「課題の分離」は、目からウロコでした。
これができたら、色々悩み事は少なくなると思います。
では、参りましょう!
自分と他者の課題を分離する大切さ
この本を読まなければおそらく、わが子がもう少し大きくなったときに
「宿題しとき~よ~」なんて言ってたと思います。
宿題や勉強はしてた方が色々自分のためですからね。
例えば、先生に怒られないで済むし、
勉強して理解できることが増えたりテストで良い点取ったら楽しいし嬉しいし。
でも、これって私の考えなんですよね。
それを子どもに強要するのはやっぱり子どものためにならないようです。
「課題の分離」
特にわが子との分離って難しいと思います。
アドラーさんは、
「他者の課題には踏み込まない」と説いています。
その選択によってもたらされる結末を引き受けるのは誰かを考えることが、
「これは誰の課題なのか?」の答えです。
では、どうして「課題の分離」を勧めているのか?
それは、
ここから先は自分の課題ではないという境界線を知り、他者の課題は切り捨てる。
そうすることが、人生の荷物を軽くし、人生をシンプルにする第一歩だからです。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることができない」
イギリスのことわざだそうです。
確かに、そうやなぁ・・・と感慨深くなりました。
本人の気持ちを無視して自分の意向を強要したところで、
あとで強烈な反動がやってくるだけなんですよね。
確かに、怒られながら勉強した記憶があれば、
勉強することって好きになれずに育っていくと思います。
結局のところ、自分を変えることができるのは自分しかいないんです。
あ。
ちなみに、放任主義を推奨しているものではなく、
子どもが何をしているのか知った上で、見守ることが大切ってことです。
本人の課題であることを伝えて、必要であれば援助をする用意があることを伝えておく。
頼まれもしないのにあれこれ口出ししない。
つまり、「勉強をする環境を作ってあげる」だけでOKということですね。
あと、やるかやらないかは自分次第なんです。
うん、将来のイライラは少し減ったと思いますw
「嫌われても気にしない」そんな考え方に
自分の生き方について自分にできるのは、
「自分の信じる最善の道を選ぶこと」
それだけなんです。
その選択について他者がどのような評価を下すのかは他者の課題であって、
自分にはどうにもできないもの。
「今の言葉、嫌われたかな・・・」
それをモヤモヤ考えたところでどうにもならないんですよ。
それは、他者の課題。
他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない。
これが「アドラー心理学」でいう、基本スタンスなんです。
良好な人間関係を結ぶには、適度な距離を保つことが必要ということですね。
過去の私(今もまだそういう傾向はありますが・・・)は、嫌われるのを怖れていました。
でも、誰からも嫌われたくないということはつまり、
常に他者の顔色をうかがって八方美人でいるということ。
でも、それって自分に嘘をついてたりするから、苦しくて不自由でした。
じゃあ自由になるためには・・・?
「自由とは、他者から嫌われることである」とアドラーさんは説いています。
他者から嫌われていること=
「自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に沿って生きているということ」
だそうです。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、
承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、
自分の生き方を貫くことはできない、と。
それが、
「嫌われる勇気」。
本のタイトル、出ました!
私はこの「課題の分離」の章を読んで、心にズドーンと来ました。
そして、自由になることに決めました。
自分の人生を生きよう、と。
他者からの承認を欲し、不自由な道を選ぶのか、それとも承認なき自由な道を選ぶのか。
次に選ぶのは、あなたです。
⇒自分の居場所を見つけるためには?対人関係のゴールは「共同体感覚」
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