はじめまして!
そして、ご覧いただき、ありがとうございます。
神戸住まいの主婦、かずみんと申します。
このページでは、私「かずみん」の詳細プロフィールや経歴などを書いていきたいと思います。
自作色鉛筆アニメーション動画での私の人生ストーリーはこちらから↓
幼少期から高校時代、大学時代、社会人までのストーリーも書いていますが、私が今まで生きてきた中での特に重要な学びだったり、お伝えしたいことは、主婦になって以降に詰まっています。
なので、重要な部分だけ知りたいというあなたは、以下のボタンからショートカットしてください。
「ちょっとこの人のこと、気になる」と思ってくださったあなたは、このままどうぞ^^
1.序章(幼少期から社会人まで)
・周囲から浮き気味な幼少期→いじめられ自分のことが大嫌いだった中学時代→花開いた高校時代
・バイトにゲームにスロット…怠惰な大学時代→1年で起死回生
・大学卒業後、ブラック施設でいじめを受けながらも2年頑張る
・性格特性が活かせた高齢者デイサービスでの楽しい4年間
2.人生の序章で学んだ3つの大事なポイント
3.妊娠→退職→出産から始まった、「理想の働き方」の追求
・アフィリエイトというネット広告ビジネスとの出会い
・アフィリエイトをスタートさせるも、なかなか成果が出ない3年間
・コンビニパート勤務開始→重要なことに気づいた瞬間
4.「好き×得意」を活かした理想的な働き方を目指して今挑戦していること
5.まとめ:理想の働き方を実現するために大切なポイント5つ
1.序章(幼少期から社会人まで)
周囲から浮き気味な幼少期→いじめられ自分のことが大嫌いだった中学時代→花開いた高校時代
神戸市の山手で生まれ、育ちました。
神戸電鉄というローカルな沿線に最寄り駅があり、神戸電鉄がデフォルト。
高校時代まで運賃の高さから下界におりる(神戸の山手出身の人だったら感覚をわかってもらえるはず…!)こともそれほどなかったので、赤穂にある福祉大学に通うためにJRを使うことが増えると、その本数の多さや電車内の広さ、速さ、人の多さに驚くことが多かったです。
一人っ子ということもあってか、グループ活動をしんどいと感じ、幼少期からいわゆる「女子グループ」には属さないタイプでした。
プライベートで自分から「遊ぼう!」と誘うこともあまりなく、誰かから誘われない限り、学校から帰ると基本的に気ままに一人時間を楽しむことが多かったです。
なので、一人で楽しめる「読書(漫画・小説)」「イラストを描く」「ゲームをする」ことが必然的に趣味になっていきました。
そんな中、女子グループに属さない変わり者の私は、小学校~中学校まで傷つく言葉を言われたり、避けられるといったいじめを受けてきました。
心優しい同級生が「一緒に仲間に入れてあげよう」という感じで誘ってくれるのが申し訳なくて苦手でした。
先生からの「3人グループ作って~」という声かけが負担になり、教室から飛び出したこともあったように思います。
そんな学校生活が苦手で、中学2年生までは週1回ぐらいは学校を休む生活が続いていました。(ちなみに、中3は受験生だということもあり、勉強で遅れ気味だったのを取り戻すためにも出席日数を徐々に増やしていきました)
周囲と馴染めない自分、そして、日常的に接していた母親も精神的に不安定になりやすく、感情的に体罰を与えるタイプ(体罰は一昔前までしつけとして見られていて、今ほどとがめれなかったように思います)だったので、どんどん自己肯定感が低くなり、自分のことが大嫌いになっていきました。
自分のことが大嫌いで、自己肯定感が低い状態の自分をなんとかしようとするべく、小学生のころから自然に手が伸びたのが「自己啓発書を読むこと」でした。
かといって、本を買うお金なんてありません。
特に小学校高学年~中学生のころは、学校から帰った後や休日には、家から歩いて10分ぐらいのところにある駅の本屋さんの立ち読みで、「自分を好きになる方法」「自分を大切にする方法」「自己肯定感の高め方」といった本を2~3時間ぐらい読み漁っていました。
そのおかげか、高校になると彼ができたり、自分より少し学力が低めの高校を選んだので、大体どの科目も学年上位の成績を維持できたことによって少し自己肯定感が回復していきました。
自分が「少しできるヤツ」と思える環境に行くと、必然的に自己肯定感や自信は回復していきます。そして、言動もそれとともに変わり始めます。
環境って、本当に大切です。
中学時代とはうってかわって、勉強に恋愛、部活(卓球部)、生徒会(図書部長)、休日は6時間ほどアルバイト(近所のスーパーのお肉屋さん)に打ち込む、まぁまぁ充実した高校時代を過ごすことができました。
バイトにゲームにスロット…怠惰な大学時代→1年で起死回生
これは今でもいえることなんですが、私自身、一緒にいる人の影響をかなり受けやすいタイプです。
大学のころ丸々4年間お付き合いした学年としては1つ上、年齢としては3つ上の彼がかなり怠惰な性格でした。
中学3年生ぐらいから高校の3年間、結構真面目に勉強やら部活に取り組んでいたわけですが、大学時代はうってかわって彼と共にぐうたらな生活を送っていました。
大学の講義に出ずに朝から晩までひたすらPSPのモンスターハンターというゲームなどで遊ぶ。
出席票だけ出して、途中で講義を抜けて帰る。
大学に近いパチンコ屋さんでアルバイトをしていたこともあり、プライベートでもスロットやパチンコを彼とともに楽しむ。
…まぁ、こうやって人のせいにして「彼が怠惰だったから、それにつられて」とか言ってると自分の成長は見込めないわけなんですけどね。
全部自分ごとであり、身の回りに起きる全責任を自分が取るという気持ちで過ごすことで、「じゃあ今の環境でどうやったら理想的で充実した毎日を過ごせるんだろう」と考え、実行し、成長に繋がります。
奨学金で将来自分が大学の費用を払うことになる貴重な4年間でしたが、お金も時間もかなり無駄に過ごしていたように今となっては思います。
ただ、良いようにとらえると、「今まで結構気を張って生きてきたけど、ここまでゆるゆる怠惰に過ごしても何とかなるんだな」という、過剰に頑張ってしまいやすい緊張をほどく意味としては有意義だったのかもしれません。
大学3回生のころ、社会福祉士という受験資格を得るために本来は夏休みに1か月間の実習に行かなくてはいけないのですが、必要な単位を出席数不足で落としてしまい、「このままじゃいかん」とハッと目覚めました。
3回生の秋ぐらいから、ちゃんと大学を卒業するため、そして合格率30%程度の社会福祉士の国家資格を取るため、徐々に彼を放置して講義に顔を出し始めます。
このころに学んだのは、「人は自分で変わろうと思わなければ変われない」ということでしょうか。
お節介に、良かれと思って「講義に出た方がいい」「そろそろ頑張らないと、卒業できなくなるよ!」とたとえ正論で横から勝手にアドバイスしたところで、「お前は俺の親か!?」と相手の反感を買うだけです。(親が言ったところで聞いてくれないパターンも多々あるでしょうが)
もしかしたら、家族以外でケンカらしいケンカをしたのは、これが最初で最後だったかもしれません。
大学4回生になって、実習、卒論、国家資格の勉強をまとめて終わらせ、無事に卒業し、国家試験もなんとかギリギリ一発合格を得られました。
ちなみに彼は、私が卒業するとともに自然消滅のような形で関係が終わりましたが、その後も1年か2年ぐらい長く大学生をしていたと風のうわさで耳にしました…
大学卒業後、ブラック施設でいじめを受けながらも2年頑張る
大学卒業後、地元で家から通える福祉施設に就職しました。
50年以上も前に建てられた歴史のある福祉施設なのですが、そこが思った以上にブラックだったのです。
上下関係が厳しく、上の人たちが強い力関係を利用して精神的な攻撃を与える「パワハラ」、飲めないのに無理にお酒を飲ませる「アルハラ」、欲しくない量まで食べさせられたり、嫌いなものやワサビ、タバスコ、カラシなどが大量に乗ったものを食べさせられる「食ハラ」があたりまえに横行していました。
「元気の良さ」と「社会福祉士という資格」だけで施設長に気に入られ、その施設の花形業務に1年目から就かせてもらえることになったのですが…
そこであだになったのが、私自身の「物覚えの悪さ」「要領の悪さ」「根回しの苦手さ」でした。
元気がいいだけで、仕事はアタフタ慌ててうまくこなせない私は、その施設でお局的な立場にいた看護師さんからターゲットにされ、かなりキツイいじめを受けました。
職員会議で名指しで叱責される。
基本的に無視。あいさつも余裕でスルー。
なのに、私がその場からいなくなると、聞こえるぐらいの声で私の悪口を言っている。
同僚や先輩、上司に「あの子はダメ」的なことを言いまくる。
担当の利用者さんに必要な薬の調整のために、看護師さんと連携を取らなければいけないのに、全く話を取り合ってくれない。
こういった看護師さんの態度にただただ委縮するばかりで、医務室に入ることすら恐怖で足がすくむようになっていきました。
委縮することで、他の業務にも自信が持てなくなっていき、余計に「仕事できないヤツ」になっていきます。
なのに、やらなければいけないことが山積みで、毎日朝から夜遅くまで、夜勤の日もお昼の1時から翌日の夕方、夜まで職場に残ることも多々ありました。
本当にありがたいことに、同僚や先輩が看護師さんとの間を取り持ってくれるといった助けもあり、何とか歯を食いしばってやり過ごしていました。
でも今となって思うのは、こういう事態になったら我慢せずスッと逃げても良かったんじゃないかなということ。
精神的に苦痛なら、ちゃんと手続きを踏んで退職すればいいです。今の私なら、間違いなくそうするでしょう。
社会人2年目のとき、プライベートでもしんどいできごとがありました。
当時結婚するかも?と思っていた彼から、「かずみちゃんとは一緒に生活していく未来が見えない」と言われたんです。
万一結婚するにしても、週末だけ一緒に過ごす週末婚とか、そういう形で…と。
それもそのはず、元々の性格的にズボラというのも功を奏しているうえ、料理や掃除といった家事全般を「仕事で忙しくて帰って寝るだけで時間がないから」とか、「面倒くさいから」といった言いわけで、それまでほぼやってこなかったんです。
一人暮らしだった当時の彼の方が、キレイ好きで丁寧でしたし、圧倒的に家事スキルが上でした。
そして実際に、私自身もその彼と生活していける自信がどうしても持てなかったんです。
微妙な違和感はいつもありました。近くにいるのに、ちょっと心が離れているというか、本心が見えないというか。
ああ、今まで面倒くさいと思ってみずからサボってきた罰だ、と。
職場での時間で徹底的に自己肯定感が下がっていて、自信もへしおられていたため、「いや、何とか食らいついて彼と頑張る!!彼に認めてもらう!!」という思考にはいたりませんでした。
毎日行くのも恐怖と心苦しさを感じる仕事だけでも必死でしたが、唯一の癒しだったプライベートのこの一件でポッキリと心が折れました。
いわゆる、「人生のどん底」ってやつですね。
でも、こういう「どん底」というのは、人生を転換させる大きな踏み台となります。
私は、2年目にして転職を決めました。
もっと、一人で生きていけるぐらいの生活力を身につけよう。
そう決心したのです。
2年目の1月に上司と施設長に「退職したい」という旨を伝え、そのまま3月に退職することになりました。
退職したいと伝えたときに、周囲は間違いなくその看護師が原因と思っていたようで、「内密な話やけど、3月にあの看護師さんも違う施設に異動するよ?だから、もうちょっと頑張らない?」と少し引き留めてもらえました。
でも、私自身、転職の一番の原因はプライベートの部分。このまま継続して施設に勤めていても、ずっと忙しくて帰れないままだと確信していたので、辞退させてもらいました。
辞める、と周囲の職員に伝わったとき、一番驚き、残念がり、引き留めてくれた同僚がいました。
当時めちゃくちゃに打ちのめされていた私にとって、この人は人生の恩人だと今でも思っています。
というのも、退職するときから転職、転職先でのちょっとしたしんどいできごとなども、この人のおかげで乗り切れたからです。
その同僚は、私のすべてをずっと肯定し続けてくれました。全力で応援してくれました。
明らかに私の落ち度だったプライベートの一件も、「絶対大丈夫、ありのままのあなたが一番いい!」と温かい言葉をかけてくれました。
何があっても全力で肯定し続けてくれる存在。これは私の中で大きな支えとなり、どん底に落ちていた自信や自己肯定感の回復につながった確信があります。
本当に感謝です。
性格特性が活かせた高齢者デイサービスでの楽しい4年間
さて、話を戻します。
転職のときに役立つのは、やっぱり「専門の希少な資格」です。
あと、この介護福祉の業界はただ「若い+独身」というだけでも取ってもらいやすいなと思います。
今の時代はわかりませんが、10年ぐらい前まではたとえギリギリ合格でも「社会福祉士」という、どちらかというと希少な資格を持っているだけで、介護福祉の業界ではかなり重宝されました。
さらに、24歳という若さは強みになります。
実家から数駅の高齢者デイサービスの面接を受け、すぐに勤務させてもらえることになりました。
デイサービスを選んだ理由は、第一に「夜勤がない」ということ。そして、お迎えに行って「おはようございます」から始まり、「さようなら」でオンオフがきっちりできることです。
また、私は人前で明るく元気に、笑顔で、大きな声で、そしてテンション高く派手な動きができるという強みがあります。
…というか、デフォルトでそうなってしまう性質を持っているので、レクリエーションで盛り上げたり、笑いや楽しい場を提供するデイは強みを活かせて、とても楽しく過ごせました。
最初の施設であれば、この「明るく元気」「大きな声」「テンション高い」「派手な動き」というのは、看護師さんに言わせるとただ「うるさい」「落ち着きがない」「ヘラヘラしている」「目ざわり・耳ざわりなヤツ」でしかなかったわけです。
叱責され、委縮し、強みが逆に弱みになり、自然に出てくる「性格特性」を抑え込むのに必死で苦痛でした。
でも、場所を変えるだけで、「指摘される弱み」が「他の人にはできない強み」になると実感したんです。
また、最初の施設で言われてなかなかうまく修正できなかった「利用者の話を素直に聞きすぎるな」という部分。
これも、デイに転職してから強み転換したように思います。
話を聞いてほしそうなら、可能な限り時間を取って利用者さんと1対1で話を聞くことで、信頼を得られる一つの武器となりました。
「あなたを見てるととても元気をもらえる。いつもありがとう!」
「あなたの顔を見に来てるのよ!」
そう利用者さんから笑顔で言ってもらえたときはめちゃめちゃ嬉しかったですね。
もちろん、個人として苦手だと思われることもあります。
風当たりが強い利用者さんから「あんたはうるさいからあっち行って!」と言われることもありました。
でもそういう場合、無理に取りつくろわなくてもいいんです。
最低限、必要な会話を不快にさせない程度にサッと行う。
厳しいなと思ったら、引き下がって、その人と相性のいい人にフォローしてもらう。
ただ、最初に嫌われていた利用者さんからも、あいさつや関わるときは笑顔でいるように心がけることで、1年、2年経つと好意を持ってもらえるようになり、お迎えに行ったときに「あんたが迎えに来てくれたんか!ほんならデイに行こうかな」なんて言っていただけるぐらいまでになりました。
また、風当たりの強い年配の上司から、はたから見ると心配されるぐらいのキツい態度をとられたこともあります。
でも、その辺りは、前の職場でさらにキツい状況に追い込まれたことがあるので、「あの頃と比べたら断然マシ」と思えました。
また、支えてくれていた以前の職場の同僚の存在のおかげで自己肯定感がある程度回復していたこともあり、それほど苦も無く乗り越えられました。
デイサービスに勤めている間に介護福祉士を取得し、仕事に慣れてきた2012年1月1日、キリのいいお正月から一人暮らしをスタートさせました。
ようやく、あのとき心に誓った「一人で生活していけるぐらいの生活力を身につける」という課題に取り組むことができ、意気込んだ覚えがあります。
場所は神戸の新開地。一人しか登れないぐらい狭く、高い段差の階段があり、3階建てで3部屋という面白い形のボロアパートです。
8畳一間で家賃37000円。
トイレとお風呂は別でしたが、トイレは和式に洋式トイレの外側をポン、と乗せたもの。
ドアだってもう「玄関のドア」じゃなく、鍵はとりあえずついているものの見るからに「部屋のドア」です。
部屋の仲介会社から、「2階の人は夜逃げしちゃったみたいなので、よかったら好きなもの持って行ってくださいね」なんて言われるぐらいの場所でした。
3階にでしたが、女性一人で住む場所として、防犯面ではかなり危ういものですよね(笑)
それでも私は、とても満足していました。
家具らしい家具はなく、部屋のど真ん中に座椅子とこたつテーブル。
そして貯金をはたいて購入した真新しいパソコン。
座椅子の後ろで、布団を敷いて眠ります。
ヘタクソながら、グラム100円未満のお肉と、100円未満の野菜や見切り野菜を使って料理もしました。
ある夜は、誰もいないはずの台所のごみ袋が「カサカサ」と音を立て、恐怖におののき一人で「うぉっ!!」なんて声を荒げながら、でかいゴキブリと戦ったこともあります。
そうやって、最低限一通り生活していくだけの生活力を身につけていったのです。
一緒に遊ぶ友人もいなかったので、特に休日はひとり時間を満喫しました。
5000円ぐらいで購入したママチャリで三宮北野の異人館仕様のスタバまで朝イチから行って、お昼過ぎまで居座っていました。
そこでやっていたことは、手帳を使いながら今まで抑え込んでいた「自分はどうしたいの?どうありたいの?」という部分について、たっぷり自分と向き合うということ。
幼少期から今まで培ってきて、最初の施設でさらに悪化させた「自己肯定感の低さ」「自信のなさ」を少しずつ回復させていきました。
この時間をゆっくり持てたことが、今の「ありのままの自分を認める」ということに繋がっていると思います。
本屋にもよく行き、自己啓発書や仕事の悩みを解決すべくビジネス書をたくさん読みました。
興味のあったギターや、幼少期から好きだった歌をもっと上達させたいと思ってボイストレーニングにも通いました。
どの経験も、「自分を大切にする。興味関心を満たす」ことに繋がり、とても楽しく過ごしました。
そうこうしているうちに、職場の先輩とプライベートでも誘ってもらえるぐらい親しくさせていただけるようになりました。
プライベートでもお世話になる一環で、その先輩の弟だった今の夫と出会うのです。
最初に食事に連れていってもらったとき、なぜか不思議と『縁』を感じました。
初めての二人きりの食事なのに、緊張とか、気を遣うとか、違和感とか、そういうのじゃなく「リラックス」できたんです。
意気投合し、あれよあれよという間にお付き合いに繋がり、一緒に住むことになり、結婚する流れとなりました。
何もかもがビックリするぐらいスムーズで、「ああ、これが『タイミング』ってやつなんだな」と。
そして、2014年の梅雨の頃、妊娠が発覚します。
2.人生の序章で学んだ3つの大事なポイント
ここまでかなり長編のストーリーでしたが、私が人生で実感した3つの教訓についてまとめます。
1、周囲の環境によって、自分の特性を生かすことも殺すこともできる
→自分が「少しできるヤツ」と思える環境に身を置くと、自己肯定感や自信が回復する
→自分の特性が、環境によって強みにも弱みにもなりうる
→自分の特性が「強み」になる場所で過ごした方が、自分も楽しいし他者貢献にもつながる
2、今の現状の責任は、すべて自分の責任だと認識する
→人のせいにしない
→選んだのは自分
3、人は、自分で変わろうと思わない限り変われない
→その人のためだと思ってアドバイスや忠告をしても、余計なお節介になる
→一生懸命伝えたところで、行動するかしないかは本人次第
→人生のどん底を経験すると、その後は這い上がるしかなく、何とかしなきゃと本気で頑張れる
かなり重要な3つですね。
今振り返ると、山あり谷ありでとても学び深く刺激的な人生を送ってきたように思います。
でも、これからが本番です。
「理想の働き方」を実現するためにどんな試行錯誤があったのかについて、書いていきます。
3.妊娠→退職→出産から始まった、「理想の働き方」の追求
アフィリエイトというネット広告ビジネスとの出会い
出産予定日が2015年2月6日だったので、ある程度余裕を見て2014年12月末まで働きました。
働きながらも、退職すると決めたころから、「今はまだ少し貯金もあるけど、奨学金は50歳ぐらいになるまで支払い続けなきゃいけないし、養育費もあるし、これからどうやって収入を得ていこう?」ということも考えるようになりました。
子どもが生まれたあとの母親としての過ごし方として、大きく3つのパターンがあります。
まず、仕事を退職して、旦那さんなどの扶養してくれる人のもとで家事育児に専念すること。いわゆる、「専業主婦」というものですね。
もう一つは、いったん退職するか育休を使って出産後しばらく時間をおいてから子どもを保育園など他に子どもを見てくれる人のもとに預け、働きに出ること。
そして最後は、その他の働き方です。
まず、奨学金を支払わなければならなかったり、夫の給料だけで豊かに自由に暮らすというのは難しい状態だったので、「専業主婦」というのは選択肢にありませんでした。
となれば、必然的にどこかに子どもを預けて働きに行くか、その他に収入を得られる方法を考えるかのどちらかです。
一般的には、子どもを預けて働きに行く、という選択をする人が多いと思います。
0歳から預ける人もいれば、子どもが幼稚園、小学校に入って少し時間ができてから働きにいく人もいるでしょう。
ただ、私は3つの理由で、その選択肢を選ぶのをしぶっていました。
1、保育料を払って働きに出るのは嫌だった
2、仕事と家庭のバランスを取るのが難しいと思った
3、人間関係が面倒に思った
ずいぶんワガママな理由だと思われる方もいるかもしれません。
ですが、これが私の正直な理由でした。
1、保育料を払って働きに出るのは嫌だった
・近くに日常的に預けられる家族がいない
・保育園の利用料を考えると、自由に使えるお金は結局少なくなる
2、仕事と家庭のバランスを取るのが難しいと思った
・仕事に人一倍時間をかけてしまう性格
・要領が悪く、サクッと仕事を終わらせられない
・色々仕事が気になって、職場で最後に帰宅することが独身時代多かった
・誰かを残して先に帰ることに罪悪感を感じてしまう
・そもそも家事育児が得意ではないのに、仕事を始めた場合どこかで体力・精神面的に力尽きて家の状態がさらに悪化する可能性が高い
3、人間関係が面倒に思った
・仕事の飲み込みが遅く、要領も悪いので、他者に迷惑がかかる
・子どもの体調不良などで休む機会が増える可能性が高いので、さらに周囲に迷惑がかかると思うと気が重い
・ネガティブな人、攻撃的な人、愚痴や噂話ばかりの人との付き合いで消耗したくないと思った
・一人で過ごすのが一番落ち着く
何とか在宅で誰にも迷惑をかけず、ネガティブな影響を与えてくる他人にふりまわされることなく、個人で新生児を抱えた状態でも収入を得られないだろうか?と考えました。
そのときに知ったのが、「アフィリエイト」というビジネスだったのです。
アフィリエイトをスタートさせるも、なかなか成果が出ない3年間
アフィリエイトという存在を知ってから、大きなお腹でその方法をかき集めるようになりました。
ただ、このころは「ネット=怪しい、怖い」という認識があったので、できるだけお金をかけたくないと思っていました。
そして、ひたすら無料の情報を追い求めつつ、無料ブログをスタート。
ただ、残念なことに、私は深く考えたり分析したりすることが苦手です。
昼夜問わず乳児のお世話をしつつ、3か月ほど自分なりに情報を取り入れながら作業をしていましたが、全く成果は出ません。
「たった5分の作業で稼げる」とか「毎日3クリックで月収10万円」とか、明らかに情報弱者狙いの誘惑に引っ掛かりそうになりながらも、このまま無料情報をかき集めてやっていくんじゃ先は見えないと感じました。
軸にする教科書のようなしっかりしたものを、有料でいいから購入した方がいいんじゃないか?そう思ったわけです。
そこで、ひたすら調べた結果、様々なサイトで太鼓判を押されていた「LUREA」という超王道のアフィリエイト情報商材を購入することにしました。
もちろん、「大丈夫かな」という不安はずっとありました。
…が、様々なサイトで大絶賛で、さらに当時一番売れているアフィリエイト商材の一つでもあったLUREAは、本当に骨太でめちゃめちゃ学べる教材だったんです。
2015年4月末に購入したLUREAに書いてあることに沿って作業を継続していくうちに、ようやく数百円程度の成果が上がるようになりました。
数百円なんて微々たるものですが、「自宅で、自分のパソコンだけで、自分の文章で本当に稼げた!!!」という喜びはひとしおでした。
もし、私がもっと分析したり、深く考えたり、戦略をしっかり立てることができるタイプだったら、このLUREA一本だけで月収数十万、数百万稼げていたかもしれません。というか、実際稼げた人もいます。
でも残念なことに、私はそんな器用なタイプではありませんでした。
数百円~数千円までの間をちょろちょろ行ったり来たり。ずっと苦戦しながら、それでも作業を継続していました。
LUREAを作成したのは、3名のアフィリエイターさんです。
そのうちの一人、MOTOさんという方のメルマガを取っていて、時々送られてくるアフィリやビジネス情報をよく読んでいました。
そして、2015年の12月頭のメルマガで、「LUREA以来の一大プロジェクトをスタートさせます!」という内容のものが届いたんです。
そこから、今までのメルマガ以上の…音声あり、動画あり、無料とはまるで思えないないような超有益なコンテンツが届くようになりました。
「このプロジェクトに乗っかったら、今目の前にある収益の壁を乗り越えられるかもしれない」
そんなワクワク感や、期待感がどんどん膨らんでいきました。
そして2016年の2月、プロジェクトの募集が始まりました。
想像以上に高額で、自分の貯金のほとんどをはたくぐらいの金額でしたが、自分の成長と、未来の成功に投資したわけです。
どうなることかと当初はドキドキしていましたが、自分を追い込むことによって日々の作業への活力がグンと上がりました。
定期的に届く講座もとても学び深く、担当してくださった講師の方々にもとてもお世話になりました。
やはり、軌道を修正してくれたり、ある程度の方向性を導いてくれる存在がいるというのはかなり心強いです。
そんなとき、2人目の妊娠が発覚しました。
つわりがしんどくて作業ができない日もあり、歯がゆい思いをしたこともあります。
ですが、安定期に入って落ち着いてからは、勉強のためのツアーに2回も参加したり、昼夜問わず長男を見守りながら毎日休みなく作業して頑張っていました。
そして2016年11月、無事に次男を出産しました。
ただ、ここで、ガタがきます。
終わりがないアフィリエイト作業。
延々と続く家事。
月収1万円は突破したものの、時間や体力を削って頑張っているわりには他のメンバーのようになかなか収益が上がらない苦しみ。
慢性的な睡眠不足。
産後の身体と精神状態の不安定さ。
産後の身体の状態が落ち着いても、イヤイヤ期真っ盛りの長男と乳児である次男のお世話。
子どもの交友関係や発散のための児童館や公園。
そして、どんどん減っていく通帳の数字。
家族が笑顔で過ごすために始めたアフィリエイトでしたが、どんどん減っていく通帳の数字に言いようもない焦りを感じ、体力も精神力も消耗して私自身の笑顔が消えていきました。
もっと作業したいのに、作業させてくれない。
子どもたちがいるから、作業できない。
そんなイライラを、ちょっとした子どもの言動で爆発させてしまい、子どもに感情をぶつけることもありました。
これじゃ、元も子もないですよね。。。
2017年~2018年は家事育児とアフィリエイトの作業バランスが上手く取れず、頑張りながらも苦しんでいました。
また、家事育児のすきま時間で淡々とこなしているアフィリエイトの作業自体も、「このキーワードの記事が必要だから、何とか内容をひねり出す」といった感じで正直おもしろくはありませんでした。
好きでもないもの、特におすすめしたいと思っていないものでも、「報酬が高い」「売れている」という理由でランキングにして記事を書いていく。
妊娠線クリームや葉酸サプリについては、たしかに自分が妊娠中のときはまだ自分ごととして書けたのですが、出産してしばらくすると、興味や熱意を失っていました。
だからなのか、売れても毎月1つ2つぐらいで、大きな収益にはつながっていなかったです。
戦略を立てたり、分析をしたりするのもやっぱり苦手だったので、今考えるとかなり効率が悪いことをしていたんだと思います。
あと、学んだことをちゃんと落とし込めていなかったんだと今となっては感じます。
コンビニパート勤務開始→重要なことに気づいた瞬間
貯金がとうとう底をつきかけたので、緊急措置として、2018年5月から週3回深夜のコンビニパート勤務も開始。
アフィリエイトの収益は、コツコツ頑張っているアフィリサイトからではなく、高額プロジェクトの中で知りあったメンバーで立ち上げた美容系メディアサイトと、2016年頃から細々と1ヵ月1~2記事ぐらいずつ続けていたビジネス書の内容・感想のまとめブログからが大半でした。
そしてある日、ふと気づきます。
「色々記事を書いてきてるけど、やっぱり本のレビューブログの記事だったり、育児ブログで旅行や日常を書くときって気持ちが楽だし、書いているうちに楽しくなってきてあっという間に時間過ぎるんだよな」
と。
小学生ぐらいから日常的に読んで刺激や学び、モチベーションをもらっている読書。
おそらく一般的な人よりも読むのが早かったり、そもそも読むことに「快楽」さえ感じます。
ただ、読みっぱなしだとほぼ頭に残らないので、最初はアフィリエイトというより、自分の記憶や学びの整理をメインとしてブログを書いていました。
このブログ記事の方が、アフィリエイト記事を書く作業より断然楽しいんです。
しかも、収益もここからの方が大きい。
また、顔出しして、自分の個性をバリバリ出して育児や日常を書いているメインブログ(このブログ)の記事を書くのも好きでした。
そっか。私は、書くこと自体は好きなんだ。
ただ、「興味のあること」か「楽しいこと」を「自分の個性を出して」書かないとワクワクしないんだ。
そんな、当たり前っちゃ当たり前のことを感じたわけです。
でも、この気づきは大きく、自分の作業の方向性を変えることにつながりました。
アフィリエイターじゃなくて、ブロガーになろう。
もっと、自分に興味関心が持てることをメインに書いていこう。
そう決めて、今まで作ってきたアフィリサイトの作業は完全ストップしました。
そして、特に収益の出ていた書評ブログの作業をメインで始めたんです。
すると、面白いことに色々アイデアが浮かんできます。
実践してみると、ブログの読者さんが増えたり、Twitterで「いいね」やリツイートをもらえたり、ちょっとバズったこともありました。
また、ゆっくり手帳の時間を持ったときに、「精神的に焦ってイライラする感覚」はどこから来ているんだろう?ということを深堀してみました。
書き出していくうちにわかったのは、やっぱり「お金が足りなくなる」ということを非常に恐れて、無駄に気持ちばかり焦っているということがわかりました。
じゃあ、実際に毎月必須の金額ってどれぐらいなの?
そうなんです。それまでこの当たり前かつ重要なことを、自分で把握していなかったんです。
私の場合、ありがたいことに食費・光熱費・家のローンなど、高額なものは夫が払ってくれています。
私用で使う以外に必須のお金は、自分の奨学金返還のために毎月引き落とされるお金と、毎月の幼稚園+習い事代だけでした。
そして、それらのお金は、コンビニパート代でおおむね事足りるものでした。
え、じゃあこんなに焦らなくて良いんじゃない?
コンビニでパート勤務していれば、あとは書評ブログのアフィリエイト代はほぼまるまるプラスやん…!!!
この気づきは、自分の精神の安定に大きく貢献してくれました。
子どものことで作業できなくても、以前ほどモヤモヤしなくなりました。
そして、子どもに対するイライラも確実に減り、ゆとりを持って子どもとの時間を過ごせるようになりました。
もちろん頑張る時間はありますが、あまり無理しすぎず休息の時間も取れるようになったんです。
心のゆとりをもって、楽しみながら書評ブログを書いていくことで、徐々に収益も安定してきました。
収益が月10万円を超えたこともあります。
収益が安定し始めたことがとても嬉しく、家族での外食も「今日は私がここで食べたかったから、今日は私が出すよ」と言えたり、夫への誕生日プレゼントも夫が欲しいものを買ってあげられるようになりました。
ただ、少し心配なのが「アフィリエイト収益は、いつ無くなってもおかしくない」ということです。
Googleのアルゴリズムの変更、そしてアフィリエイト商品自体が無くなってしまうことも十分ありえます。
そして、コンビニのパート勤務というのはたしかに出勤すればお金は確実に入るものの、本当にやりたいことではありません。
さらに、もともと朝に強く夜に弱いタイプなので、21時~24時までの勤務というのは体調を崩しやすくなる要因になっていました。
24時半ごろに帰宅して、寝る支度をしているうちに25時を過ぎます。
翌日の朝がなかなか起きれず、長男の幼稚園準備だったり午前中の予定の間もあくびまじりでした。
また、本当は早朝にパソコン作業をやるのが理想なのですが、できなくなっていました。
そんなとき、MOTOさんからまた、ワクワクするビジネス構築を学ぶコミュニティを開始するというメルマガが届くようになったんです。
「4月から次男も幼稚園に入園するから、自分の時間がぐっと増える。もっと楽しくて、もっと理想的な働き方を自分で作りたい」
そして、「好きなこと」や「得意なこと」を仕事にすれば、毎日の作業が楽しく、心も豊かになるということを書評ブログで知ったので、それらをもっと取り入れたいと思いました。
ある程度資金がたまったこともあり、理想の働き方を実現するべく学びや実践に時間を投資するため、いったんコンビニの深夜パート勤務はやめることにしました。
1年半という期間でしたが、自分の心に余裕を持たせてくれたコンビニ勤務にはとても感謝しています。
4.「好き×得意」を活かした理想的な働き方を目指して今挑戦していること
そして、2020年1月から、新しい挑戦を始めています。
自分の経歴や価値観、強み、興味関心を深堀していくうちに、幼少期から大好きだったイラストを、また描きたいと思うようになりました。
といっても、イラストを描きたいというのはアフィリエイト作業をしながらもずっと頭の片隅にあったことです。
ときどき、オリジナリティを出したくてブログやサイトに自分が描いたイラストを載せたりしたのですが、「描いているときは楽しいけど、この時間、もっと記事作成に使った方がいいんじゃないか」という考えが出てきて、すぐにやめていました。
ですが、自分を深堀して、MOTOさんに見てもらってコンサルしていただいたときに、「山あり谷ありの人生を送っておられるので、それらをホワイトボードアニメーションみたいな感じで書いてみたらどうですか?」という貴重なアドバイスをいただいたのです。
そして、初めて完成した自分のストーリーを描いたアニメーションが、最初にご紹介したこちらの動画です↓
どうやって作ればいいのかもわからず、とりあえずシナリオと何をどの順番で描くかということだけ決めてぶっつけ本番。
ここから、試行錯誤を重ね、コミュニティ内でお仕事をいただいたり、自分で商品サービスを紹介したりして、色鉛筆アニメーションを制作するようになりました。
色々調べてみてわかったのが、
「自分や商品サービスのストーリーを語る」というのは、特に輝かしい実績を持たない私のような起業家さんにとって他のお客さんとのつながりや共感、信頼を得られるコンテンツになるということです。
しかも、それがアニメーションで描かれることで、わかりやすく、「動くものを追う」という人間の本能が刺激されるので最後まで見てしまいやすくなるというメリットもあります。
更新頻度は一時よりも落ちたものの、大好きな書評ブログを継続しつつ、こうやって楽しみながら色鉛筆アニメーション動画を作るビジネスができている今、とても充実しています。
5.まとめ:理想の働き方を実現するために大切なポイント5つ
出産後、時には難関を超え、試行錯誤して今があるのはこの5つのポイントがあったからです。
1. 理想の働き方、毎日の過ごし方を思い描くこと
2. 自己投資すること
3. 自分をピンチに追いやることで、行動力や継続力をアップさせること
4. 一緒に頑張り、情報を提供しあえる仲間がいること
5. 諦めず、行動し続けること
1. 理想の働き方、毎日の過ごし方を思い描くこと
まず、自分にとっての「理想の働き方」はどうものなのかを思い描けるぐらいにはっきりさせることが大切です。
理想の働き方は、人それぞれ違います。
家にこもりたい人もいれば、他の人と接したい人もいるでしょう。
パソコンだけで自由に仕事をしたい人。。ハンドメイドのものを作って売りたい人。人に何かを教えたい人。
「こんなこと叶うわけない」と制限するのではなく、「自分が理想とする1日の過ごし方、働き方」を、自由に書き出してみましょう。
私は、好きな本を読んで、イラストを描いて、自宅でおいしいコーヒーを飲みながらゆっくり好きな音楽でも聴きつつ仕事ができたら最高です。
週に1回ぐらいは気分転換にお気に入りのカフェに移動して、仕事。
誰にも気を遣うことなく、自分のペースで仕事ができるようになったら幸せですね。
何事も、ゴールがなければ新しい日常に一歩踏み出せません。
ぜひ、あなたが望む「理想の働き方」を具体的に書き出してみましょう。
2. 自己投資すること
私は、主婦という立場や得られている収入のわりにガンガン自己投資するタイプです。
理想の働き方を求めて、最初はしぶりながらもアフィリエイトの教材2万円ちょっとから自己投資がスタートしました。
そこから、余裕で100万円を超える自己投資をしています。
今の時代、無料でも多くの質の高い情報が落ちています。
「じゃあ、無料の情報で良いんじゃない?」と思うかもしれません。
でも、無料で得た情報と有料で得た情報というのは、吸収力の差が圧倒的に違うんです。
お金…しかも自分にとって手痛いぐらいのお金を払って得た情報って、「絶対元を取らなきゃもったいない!!!」ってなるじゃないですか。
これがいいんです。
「絶対元を取らないと」という気持ちが、その情報の吸収力だったり、行動力だったり、継続力を劇的に高めてくれるんです。
それが、理想の生活や目標達成までの時短に繋がります。
同じ情報でも、無料で得た情報は「へぇー、いいこと聞いた」ぐらいで終わらせがち。
ぜひ、自己投資しましょう。
「払った分以上は絶対稼ぐ!!!」という強い気持ちを持つためにも必須です。
「え、でも、そういってるあなたは結構時間かかってるよね?」
たしかに、その通りです。
今となって思うのは、分析が苦手で、戦略を立てるのが苦手で、物事の深堀が苦手で要領がいと自覚している人は、家庭教師並みにしっかりついてアドバイスをくれるコンサルを受けた方がいいですね。
優秀な教材があっても、一生懸命取り組んでいるつもりでも、他の人より遠回りで時間がかかる方へ無意識に自分を持って行ってしまう可能性が高いです。
半年や1年で「月収100万突破!!」というコツをつかみやすい人もいれば、私のようになっかなか芽が出ないタイプの人もいます。
自分に合った「自己投資」を試行錯誤しながら見つけるといいでしょう。
3. 自分をピンチに追いやることで、行動力や継続力をアップさせること
一つ前の項目にもちらっと書きましたが、私は貯金額や主婦という立場のわりに、100万円を余裕で超えるぐらいかなり大きなお金を自己投資してきました。
特に圧倒的な行動力や継続力をつけるためには、「あ、このまま稼げないと死ぬ…!!!」と思えるぐらいのピンチに自分を追い込みましょう。
そうすれば、否応なく動くしかなくなります。継続するしかなくなります。
人間は本能的に楽な方へ流されがち。
めちゃめちゃ意志力が強くて、3日坊主なんて経験ないという人は必要ないかもしれません。
ですが、私を含めてそれ以外の多くの方はつい楽な方へ流れてしまいがちなはず。
そんな自分をシャットアウトするには、自分でピンチを作るしかないです。
「ついダラけてしまって物事が続かない」という人はぜひ自分をピンチに追いやってみてください。
ただ、どれぐらいピンチに追いやるかは自己責任でお願いしますm(__)m
4. 一緒に頑張り、情報を提供しあえる仲間がいること
ストーリーの中ではあまり語りませんでしたが、この「仲間がいる」というのはめちゃめちゃ励みになります。
私は2016年に入った高額プロジェクトで知り合ったメンバーとのつながりがまだあって、その人たちと定期的に情報交換や近況報告をすることが、今まであきらめずに続けてきている1つのポイントになっています。
正直なところ、近所のママ友さんとのやりとりよりも断然一緒にビジネスを頑張っているオンライン上のつながりの方が、日々の作業のモチベーションに繋がっています。
同じように頑張っている仲間の存在は、とても心強いものです。
「あの人も私以上に時間を作りにくい環境であれだけ頑張ってるんだから、私も頑張らないと」と思えます。
また、情報についても仲間がいると質がグッと上がります。
一人の情報収集力なんて微々たるもの。また、自分の興味関心がある分野だけに情報が偏りがちになってしまいますよね。
ですが、他のメンバーとつながっていることで今まで知り得なかった切り口での情報が届くようになります。
自分自身も、得た情報を自分なりにアウトプットする場があることで、知識として習得しやすくなるという効果もあり、頑張る仲間同士でのやりとりは一石二鳥にも三鳥にもなります。
そういう人たちはどこにいるの?と思うかもしれません。
それが、ある程度高額のコミュニティだったり、塾だったりするわけです。
そこで知り合った仲間たちは、きっと自分の頑張りを後押ししてくれる貴重なつながりになるでしょう。
ちなみに、さらに上を目指すなら、自分と同じ属性でなく、別のジャンルの「頑張っている人」とつながった方が世界が広がります。
全く別の経歴を持っている人のアウトプットや情報はかなり刺激になるので、機会があれば積極的につながってみてください。
5. あきらめず、行動し続けること
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
…スラムダンク安西先生の名言ですが、ほんとにこの言葉通りだと感じています。
もし、私が独学で全く稼げなかったときにあきらめていたら。
もし、高額な投資をしても稼げなくてあきらめていたら。
もし、これ以上自己投資できないとあきらめて今のビジネスコミュニティに入らなかったら。
今の自分は絶対ありませんでした。
「あきらめず行動し続ける」
この根っこの部分を支えるために、自分をわざわざピンチに追いやったり仲間づくりを大切にするわけです。
ときには歩みが遅くなることもあるでしょう。何なら、停滞することもあるでしょう。
でも、理想の働き方、充実した幸せな毎日、目標を達成するまで、諦めずにいることが超絶重要です。
諦めたら、絶対に叶いません。当たり前ですね。
歩幅やスピードは人それぞれですが、本気で理想の未来に到達したいのであれば、「あきらめずに行動し続けること」は必須事項です。
長い長いプロフィールは以上です。
不器用ながらも、理想の働き方や充実した毎日のため、私は諦めずに進み続けています。
ぜひ、あなたの理想の毎日のために役立ててください。
そして、一緒に頑張りましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!m(__)m
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