【承認欲求否定】「嫌われる勇気」での学び⑧【他者の欲求や期待に応えるのではなく、自分の人生を生きよう】

こんにちは、*min*です。

 

今日は承認欲求についてのお話です。

 

 

アドラー心理学を知るまでは、

「他人の人生を生きていたな」と思います・・・

 

自分の人生を生きよう

ある夜、あなたは疲れている旦那さんにマッサージをしてあげました。

「お~、気持ちいいなぁ。やっぱり、仕事で疲れてきた夫をこうやって労わるってのは、妻の勤めやな!」

そんなことを言って、ちっとも「ありがとう」の一言がもらえません。

こんな場合、これからも旦那さんへのマッサージを続けようと思いますか?

 

・・・

 

アドラー心理学では、「承認欲求」を否定します

承認欲求とは、「誰かに認めてもらいたい欲求」です。

 

そりゃ、承認欲求はあって当たり前なんじゃない?

感謝されたいもん。

ありがとうって言われるの、嬉しいやん?

だから色々頑張るんやんか。

 

・・・そう思っていました。

 

 

でも、アドラーさんは真っ向から否定します。

「私たちは、他者の欲求を満たすために生きているのではない」

「他者の期待など、満たす必要はない」

 

なんて厳しいお言葉・・・!

 

この、「承認欲求」とは、小さいころから培われている賞罰教育の影響だそうです。

良いことしたら褒めてもらえて、悪いことしたら叱られる・・・ってなやつです。

いやいや、普通ですよ、そりゃ。

 

でも、アドラーさんが言うには、

「褒めてくれなければ、良いことをしない」

「叱る人がいなければ、悪いことをする」

に繋がっていく・・・とのこと。

 

・・・ちょっと耳が痛い話ですね。

 

ユダヤ人の言葉に、

「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、

いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」

という名言があるそうです。

 

承認されることを願うあまり、他者からの「こんな人であってほしい」という期待通りになるよう生きていく・・・

つまり、他者からの評価ばかり気にしていると、

最終的には他者の人生を生きることになる、ということです。

 

そんな人生、どうなんでしょう?

 

色んな意見があると思いますが、まぁ、私は嫌ですね。

 

 

でも、これを読むまで、他者の期待に沿った言動をしていたように思います。

認めてもらいたかったし、他の人に嫌な気分を感じさせたくないから無難な言動を取る。

そして、周りの顔色ばかりうかがう。

 

・・・今思えば、ほんと、自分の人生を生きていなかったなと思います。

 

しかしですな、わかっちゃいるけど、相手の言動に一喜一憂したり

「嫌われたかな・・・」なんてやっぱりモヤモヤ悩んだりしてしまうもんなのよ。

 

嫌われるのが恐い私は、そんな感じでした。

 

 

でも、次回お伝えする

「課題の分離」

これを知って、心がぐっと軽くなりました。

ぜひ身につけておきたい考え方です。

お楽しみに!

 

⇒友人だろうが子どもだろうが親だろうが・・・他者の課題に手を出すべきでない理由

 

ブログランキングに参加しています。

クリックいただけるととても嬉しく思います!


人気ブログランキングへ




コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)