【劣等感と劣等コンプレックスの違い】「嫌われる勇気」での学び⑤【どうせ持つなら「健全な劣等感」】

こんにちは、*min*です。

 

今日は前回の「劣等感」の続きです。

 

劣等感と劣等コンプレックス

「劣等感」と「劣等コンプレックス」?

「劣等感」はよく聞くけど、「劣等コンプレックス」は馴染みがないなぁ・・・

と私は感じました。

 

この「劣等コンプレックス」というのは、

「○○だから、××できない」と結びつけてしまうこと

を言います。

 

もう少し詳しく説明すると・・・

 

人間誰しも、もっと向上したいといった欲求を持っています。

これを、「優越性の追求」といいます。

 

でも、常に「もっと向上したい」といった状況にいるということは、

理想に達していない自分に対して、

まるで劣っているような感覚を抱くということに繋がったりするわけです。

 

それを、「劣等感」と呼びます。

 

「劣等感」自体は、決して悪いものではありません。

使い方さえ間違えなければ、努力や成長の促進剤となってくれます。

 

問題なのは、劣等感を言い訳にして、「だから○○できない」と結びつけてしまうことです。

 

これを、「劣等コンプレックス」といいます。

 

「勉強ができないから、成功できない」

「美人じゃないから、彼氏ができない」

こういったものは、「劣等コンプレックス」です。

 

この「劣等コンプレックス」状態は自分の心に負担がかかります。

 

でも、変わろうとする努力をする勇気がない・・・

 

そうなると、

「不幸自慢」をしたり、持ち物を高価なものでまとって「自分はスゴいんだ」とアピールしたり、

過去の手柄をずっと自慢していたり・・・

 

そういったことで「劣等コンプレックス」の穴を補おうとしてしまいます。

 

「劣等感」と「劣等コンプレックス」は似て非なるもの・・・なのです。

 

健全な劣等感とは?

では、健全な劣等感とはどういうものでしょうか?

 

それは、

他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」から生まれるもの

です。

誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩けばいいのです。

劣等感をバネに、努力をする。。。

昨日よりも一歩前に踏み出すことが大切です。

 

また、それに伴って、他者との違いを優劣や善悪の視点で考えないようにしましょう。

「他者とは、同じではないけれど対等」とアドラーさんは言っています。

老若男女、人間の価値は変わりません。対等です。

縦軸はなく、平らな空間をみんなで歩いているようなものだとも言っています。

 

誰かと競争するためではなく、

今の自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。

 

う~む・・・

深いですね!

 

 

今日もここまでお読みいただき、ありがとうございました!

 

⇒「私は正しい」をやめて、誰よりも早く競争から降りるべき理由

 

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